おいらは示唆に満ち満ちた小説よりも、村上春樹も言ってるけど、全体の筋は忘れても一つだけ心にひっかかる部分のあるような小説が好きだ。人間だってそういう人のほうが魅力的だ。でも保坂和志の小説はいたるところに世界に対する示唆がちりばめられてるけれど、なんか押し付けがましくなくて好きだ。うまく言えないけど、事実以上の結構どろどろしたことを書いてるんだけど、なんか一つのものに収束させないようにしてる。let it beだ。きっとこの人は自分の言葉に対する責任とか、言葉が他人に届くまでの距離とかにとても敏感な人なんじゃないんかな。
人間でも、事実以上にてんぱってみたり大変がったりする人になりたくない。事実は事実のまま、どれだけそのままで受信できるかっていうことに気を配りたい。
私は季節春と秋が好きだな。中間的な季節だから。だから『季節の記憶』で松井さんが「言葉にならない気持ち」と十一月の関係を語るところとてもよかった。